論説・講演など    尾崎行雄記念財団 2009年講演会

日米の共通課題―「政治の有効な制御の欠如」

尾崎行雄記念財団 二〇〇九年度第四回「咢堂記念講演会」(2009年11月25日開催)

「二国物語―オバマの失敗と民主党の成功」

 

「オバマの失敗と民主党の成功」というサブタイトルは、挑発的かつ性急な結論のように思われるかもしれません。しかし、これはすでに現実になっています。一言で言うと、米国のオバマ大統領は期待された重大な改革政策を実施する希少な機会を逃し、そのような機会はもう再び来ない。一方、日本の民主党は、迅速に動き、日本の現実政治をこの九月までに、過去何十年にもわたる優柔不断な状況へ決して戻ることのないところまで変えてしまいました。

 

米国と日本は、ともに内政を変えることに加え、世界に大きな影響をもたらす展開の真最中にあります。皆さんはなるほど米国はそうかな、と思われても、日本に関しては簡単にそうは思えないかもしれません。それは、世界中に蔓延した「アメリカは活力に富み、指導力を発揮する国。日本は政治が決して変わらない国」と考えてしまう根深い習慣が故かもしれません。

 

両国に共通していたのは、「政治の有効な制御の欠如」という重大な問題です。制御の手を離れてしまった米国は、とりわけ金融システムの危機や、不要な戦争の遂行といった誤った方向へ動いてしまっています。日本は、その制御不能な状況が停滞をもたらし、社会的にも経済的にも徐々に下り坂になっています。そうした深刻な状況を抱える両国において、選挙前の期待がかなり大きかったのは無理もないことでした。

 

バラク・オバマの大統領選出は、随所で安堵とともに、八年間に及ぶブッシュ政権下での多難な国際情勢の後、世界はアメリカ政府と通常の関係に戻ることができるとの期待から、歓呼を持って迎えられました。ヨーロッパでは何百万の人びとが、妻と私も含め、朝の五時までオバマ大統領就任の瞬間を見守りました。私たちは、稀な政治的感動を共有する巨大な群衆の一部になったのです。今でも、テレビが捉えた歓呼する群集の中のジェシー・ジャクソン師の涙を想い浮かべることができます。

日本でも選挙前の期待は、九〇年代中葉に見たものよりも高かった。日本は行き詰まってしまっている、抜本的な変化が起こらなければならない、という強い国民感情があったと思います。この国民の気持ちは、一九九三年に起きた政党政治の大変動に影響されたもので、それがなかったなら今日の民主党はありません。一九九三年は日本にとり重要な年でした。日本の皆さんは、抜本的な変化は望ましいばかりでなく、可能であることを理解したのです。しかし、そのときの約束は現実にならなかった。そして長期におよぶ見せ掛けの小泉改革で方向を誤ってしまったのです。

 

オバマ政権の直面する課題 

オバマ大統領は、はじめから大変困難な課題に直面していることは疑う余地がありませんでした。政治的にも経済的に最悪の状況でした。現代の資本主義の終焉かもしれないと専門家が論評したほど、第二次大戦後の最も厳しい信用危機ばかりでなく、共和党の高官が未だに持つ、小さな政府こそ最良であるというロマンチックな考え方により、意図的に破壊された政治機構を前任者から引き継いだのです。他方、米国の軍産複合体は逆上しています。選挙民のすべての希望を叶えることは到底できないことは始めから理解されていましたが、最低でも、巨大投資銀行のカジノ的な投機活動をやめさせ、また、交戦的な行動に歯止めをかけるために、大統領は選出されたのです。

 

「もう少し、時間をあげてください」―今でも、オバマ大統領の失敗を話題にすると跳ね返ってくるヨーロッパや日本、そして(今では一頃より小さくなった)アメリカでの声です。大統領に対する日本やヨーロッパでの熱狂を考えれば、それは当然の要請のように聞こえます。かえって私の指摘することが明確に見えてこないのは、希望的思考という濃霧に隠されているからです。オバマ大統領選出のお祝事の後に、悪いニュースを受け入れることには強い抵抗があります。これを象徴するのは、ノーベル委員会の五人のノルウェー人がオバマの素晴しい雄弁だけを理由に、平和賞を授与したことです。しかし、「もう少し時間をあげて」という声が、新政権に誤った雰囲気をつくってしまった。この種の寛大さは、大統領を助けることにはなりません。一見、合理的に見える反駁は、誤解に基づいているからです。大統領には、当初から期待に応え実行する短い時間しかありませんでしたが、その時間は終わった。タイムアップなのです。これについては、あとで説明します。

 

政権交代後の民主党の迅速な行動 

オバマ大統領の〝忍耐〟とは対照的に、民主党は自民党から政権を引き継ぐや直ちに行動に出ました。それは決定的であり、多くの潜在的な誹謗者や政敵の不意をつくとともに、日本で起きていることは他国で見る通常の政権交代ではないことを示しました。強い決意を持って迅速に動いたことにより、すでに日本政治の現実を九月中旬前の状態に戻せないところにまで変えたのです。

 

両者の対照的な取り組みは皮肉的でもあります。日本は元来コンセンサスデモクラシーだと言われてきました。私は決してそうは言いませんが、確かに日本の政治家は、成功するための暗黙の合意を充分に取り付けてからでなければ物事を引き受けない。このコンセンサスづくりを、しかも滑稽なまでに行なったのはむしろオバマでした。就任するや、新政権の失敗を願う共和党員と手を結ぶことを試みたのです。大統領自身の政治生命を絶つことだけを願う政治家との超党派合意を取り付けようとしました。言うまでもなく、コンセンサスとはお世辞にもいえない譲歩しか得られませんでした。その間、大統領は選挙民の声を聞くことを拒んだ。多くの世論調査で明らかにされた、「他国の占領をやめるべき」「銀行家とは名ばかりの、自己の懐を肥やすギャンブル師の人質となった経済を取り戻して欲しい」、という声に耳を貸さなかったのです。

 

一方、民主党は、まるでコンセンサスは日本政治に馴染まない、とばかりに動きました。実のところ、日本の選挙民は抜本的な政治の変革が必要であるとのコンセンサスを長い間持ち続けてきたのです。両者の取り組みの違い、失敗と成功について、何をもって説明できるでしょうか?

 

民主党の中枢にいる人たちは、やるべきことを実行する準備ができていたと思います。一九九三年、それぞれ異なる小党に所属していた改革派の政治家は、準備ができていなかったばかりに改革を進めることが出来なった。政治の権威を主張する知識もなければ官僚の支援もなく、政策決定の梃子をどのように使うか、制御すべきかを知らなかった。ただ、重要なことは、お互いが知りあったことで、そのことが戦後初めての真の野党を結成することにつながったのです。それからは、小沢一郎の言う「日本を普通の国にする」という基本的な思考を手放すことなく協力しあった。そのためには政治のハンドルをつくり、国の優先課題を設定し、国の舵取りをできる政府をつくる必要がありました。換言すれば、私の言うところの「政治のアカウンタビリティ」―すなわち、結果に対する責任の中心をつくることでした。民主党は、内閣を中心とした政策決定の仕組みや、財務省の主計局から予算決定権を奪いとり、予算を閣議決定することの重要性を主張してきました。

 

新政権与党の中心メンバーは、中心が空洞になっている日本の政治システムと、国家の重要事項が米国により代理決定されていることには関係があることを認識するに至りました。その関係は、それをこれから抜本的に見直すと決意したことにより、またこれまでのように日本を軽くみてほしくない、というメッセージを送ることによりすでに変わったのです。

 

オバマ政権発足直後からの失敗 

オバマ大統領の話に戻りますが、アメリカ世論が、壊されてしまったものを思い切った行動により修復して欲しい、と願った行動をオバマが起こす機会は、すでに失われてしまったのです。米国には、資本主義経済が瓦解するかもしれないという可能性を前に、通常では克服できない国内政治のハードルを越えて根本的な行動をとる用意がありました。しかしオバマは、クリントン時代の、そもそも信用危機をもたらすに至った、もしくは危機をもたらす上で重大な役割を果たした銀行などの既得権益の同調者であった経済政策決定者を選んでしまいました。彼らは、経済が回復した印象をつくると同時に、巨大な投資銀行の力を拡大し、ギャンブルを続ける新たな都合の良い状況を醸成する政策を打ち出しました。

 

ここで、信じられないオバマ政権の展開を見てみましょう。破綻した銀行の倒産を許し、危機をつくった管理職を解雇し、ビジネスに資金を割り当てる本来の仕事を銀行にさせる―そうした対応をとらず、合併による集中で権力を増幅させ、その存続を政府によって(納税者の税金によって)保障することにしてしまったのです。金融機関がカジノ遊びに立ち戻り、トップ管理職に法外なボーナスを支払うことになったのは当然の成り行きだったのです。何十万という人びとが住む家を失い、仕事を失い、筆舌につきる悲惨な状況を緩和することにはならなかったのです。

 

実は、新聞で知るよりも大きなストーリーがあります。アメリカでは、大企業またはビジネス部門がロビイスト軍団を雇い、政治家の再選にお金を使い、政策決定を左右してきたことは周知のことです。まさにその証拠が、今度の新しい医療法に見られます。国民には約束されたことのほんのわずかしか提供せず、製薬や保険業界に従来の膨大な利益をさらに上乗せする新しい手段が提供されています。さらに重大なことは、危機をつくり出した金融機関は、かつてないほど、また、ほとんど永久にアメリカ国家を攻略することに成功したことです。オバマはこれを制することなく、規制の対象である諸機関の掌中におちた規制案は、むしろ彼らの立場をより強固なものにすることになりそうです。

 

オバマが修復すべきもう一つの政策懸案はアメリカの軍国主義についてでしたが、戦闘はアフガニスタンからパキスタンに拡大してしまい、オバマは国防総省や将軍に立ち向かうことができないようです。仮に、マクリスタル将軍によるアフガニスタンへの増派要請を退けたとしても、この分野におけるオバマの弱さは、存在しない脅威に対する幻想に従い、市民の将来の福祉安寧を犠牲にして、軍産複合体が既得権益を貪る現実をとめることができない、危険な「安全保障国家」にしてしまっています。

 

歴史家のジレンマは、出来事を左右し歴史を作るのは人物か状況かという問いにあります。両者には明らかに相互関連がある。オバマが経済顧問と将軍に依存することなく、また自身の雄弁が、すべきことを行なう第一歩になるとの過信をもたなければ、今日の状況はまったく違っていたと思われます。もし(日本の)民主党の中心にいる人たちが、それぞれの意見の違いを調整することを学習していなければ、真の政府をつくる見事な努力を目の当たりにすることはなかったでしょう。

 

オバマ政権失敗の背後に米国の「腐食・腐敗」 

次に話を制度に移します。ある意味では民主党のほうが、オバマ政権より状況が楽だったといえるかもしれない。よく準備されていたことに加え、真の政府に必要な内閣のような基本制度が存在していました。これまでの内閣は、民主的な内閣が本来すべきことをしていませんでした。自民党政権下では、週に二回、それぞれ十五分から二十分、実際の政策決定者である各省庁の事務次官が前日に作成した文書に印鑑をつくためだけの会合でした。存在はしていたが本来の機能を果たしていなかった内閣制度に、民主党が息を吹き込んだのです。

 

米国には民主的なガバナンスのための制度が存在し、たびたび使われてきましたが、悪用もされました。アメリカの政府機関の大きな問題は退廃です。行為を買うための贈賄ではなく―それもありますが―言葉の本来の意味の「腐食・腐敗」が起きているのです。

 

これが大きな問題です。オバマ政権の失敗の背後には、私に言わせれば、この二十年におきた恐ろしい悲劇としかいえない一連の出来事があります。米国は、その教育者や政治家が大衆に言うような偉大な国でも、世界が願望する、良い生活をすべての人に提供する見本でもなかった。とはいえ、いろいろな意味で成功した国でもありました。偉大な資質をもち、当初においては、アメリカという国には自由と可能性がある、と強い意識が伝えられました。今でもアメリカを旅すれば、会う人びとの自然なフレンドリーさや寛大さに触れることができます。強力な既得権益が蔓延したアメリカは、アメリカ国民にとり心外です。アメリカの政治制度に恐ろしいことが起きたのです。それを予見して、アイゼンハワー大統領は、テレビで報じられた退官の挨拶で、米国のデモクラシーの存続が軍産複合体により危機にさらされていることの警告を発したのです。当初の起草案では、その複合体に米議会も入っていましたが、不細工なため外したそうです。

 

アイゼンハワー大統領が言及したことは、政治・経済制度が自ら命を持ち、一般に信じられているような政治による制御が利かなくなっているということです。同じことが今回の信用危機をもたらした金融機関にもいえます。

 

彼らは、社会・国家の福利を大きく阻害する権力を防止するためにある施設を乗っ取ったのです。このようなことは他所でも起きています。が、それをとめることができなければ、ファシスト的な展開になり、不安に怯える不幸な人びとは、悪辣で節操のない日和見的な政治運動や危険な権力遊びに追随してしまうのです。今日のアメリカにはその要素が見られます。競争的な娯楽に毒されたマスコミは、オバマは真のアメリカ人ではない、実は隠れイスラム教徒なのだ、あるいはコミュニストかナチスなのだと言い、セーラ・ペイリンがいかにも政治的価値のある存在であるかのように報道しています。共和党は、皮肉にも、労働階級の不安と不幸と恐れと無知を利用しているのです。

 

オバマは、一般の人たちの政治的・経済的不安や、アメリカは悪の勢力によって脅かされているというブッシュ政権下でのプロパガンダを払拭する努力をしていません。一方で、公民権、人権の必要を元共産国または独裁国に対して説教をしたブッシュ・オバマ両政権は、アメリカの公民権が瓦解することや、司法に対する伝統的なチェック機能の崩壊、果てはアメリカの刑務所を満員にする、ならず者検察官の身勝手を許しています。また、各地域の警察は軍隊化し、市民に対して敵対心で満ちています。これらは、テロリストだと思われる人たちを誘拐し、政権が管理できる状況下で拷問を許していることが表沙汰になる前からのことです。

 

異常な日米関係にメスを入れる民主党政権 

日本はアメリカの同盟国だと言われていますが、同盟というのは、それぞれ相手に主権を認める関係を言います。米国政府は日本を主権国家として扱ったことはなく、日本の置かれている立場をあらわす言葉としては、「保護領」というのが一番近いかもしれません。民主党はそれを変えたいと考えている。日本を主権国家にしたいのです。鳩山首相の言う「より対等な関係」はそのことを意味しているのだと思います。

 

しかし米国政府は、まったくそのことを感じていないようです。オバマ大統領の訪日までの最近の出来事は、アメリカの政界の自己欺瞞や世界の現実を再考し、真正面から見ることのできるアナリストや政策決定者の欠如を露呈しました。日本は、経済大国だが、政治的には小国だと言われてきました。外国の政治家は、「ドアを叩いても誰もいない、留守のようだ」ともらします。経済的に強い大国にとっては不可思議な状況ですが、世界はそれに慣れてしまっています。今、第二次世界大戦後初めて日本の政治家が国の舵取りをしようとしたときに、米大統領にはそれが聞こえないようです。両者が真に強力な関係をつくるための基礎を築く恰好の機会なのですが…。それに引きかえ聞こえてくるのは、米国のマスコミによる執拗な警告や軍事基地に関する日本の反抗的な態度についてです。意見の不一致は軽くはないかもしれませんが、今後の中国やロシアとの戦略的関係と比べたら、どちらが大事でしょう?

 

米国マスコミは、誤った空論を報道し、それがヨーロッパで取り上げられ、驚いたことに日本でも取り上げられています。マスコミは「民主党は何をしたいかも分かっていない」と報道しています。同情的なマスコミでさえ「経験のない政党が行くべき道を模索している」と。今までしたことのないことをすることに対し、経験がない、というのは当然です。確かに閣僚は、方向を模索しています。まともな政府に必要な情報の伝達経路、権限委譲などの道筋はこれからつくらなければなりません。最大の課題は、優秀な経験を持つ官僚機構との肯定的で生産的な関係をつくることにあります。その努力のプロセスを「混乱した民主党政権」と言うのでしょうか?予想しなかった障害について適切に対処することに関してはそうでしょうが、やりたいことに関しては全く混乱はありません。この種のマスコミのお喋りは、現実を従来の思考の枠組みでしか見ないために起きているのです。そのため、目にするものが日本のナショナリズム、あるいは反米主義に見えるのです。

 

残念ながら日本のマスコミもあまり違いがありません。政治記者や編集者は自民党の派閥抗争を追うことに訓練されており、この面では長けています。私がタイ国の政界の激動を報道していた時分、タイ軍の派閥の動向に関しては、大いに専門知識のある日本の同僚に頼ったものです。日本の新聞社の多くは派閥や内部での闘争を実際のものとして書いている傍ら、民主党の指導者による重要な日本の政策調整に関する動きを見落としています。

 

それらに基づく新聞報道は、誤った注意を喚起することにもなり得ます。そうなると、党内の不調和が自己充足的な予言になってしまいかねません。それにより民主党の計画が壊れるか?そういうこともあり得ます。

 

話を先に進める前に、何がどう間違うか考えてみましょう。民主党の協議事項であるアジェンダは何か。自民党が実効的に達成できなかったことであり、戦後復興後、また経済大国創出後に試みることさえなかった、真の政府をつくることです。次に何をするべきかを問い、それに応え、行動することのできる政府をつくることです。このことは、単に原料調達や日本製品のための市場確保、そして米国政府をハッピーにしておくことにとどまらず、外交ができる真の主権国家をつくることに他なりません。国外では、二本の足で立つことを意味します。

 

この計画の実行はかなりの混乱をもたらすことになります。取引関係において何が許容されるか実質的に決定される法律が存在しない現行の政治制度では、非公式な権力により、誹謗とスキャンダルなどの非公式な方法で物事を一定の範囲にとどめおくシステムになっています。

 

いままで存在した日本の制度は、内的な均衡を崩す要素に対し防御作用を司る免疫システムを有する生物組織に例えることができます。政治家や冒険的な実業家は、既存のやり方を覆すようなことを行なうとスキャンダルで切られる。そのためには、検察とマスコミの協力が必要になります。私自身、幾つかの事件を追跡し、その現象について書きもしました。昨年の春、小沢一郎の権力を削ぐ努力がなされました。民主党がやっていることは既成体制の動揺を誘います。ほんの些細なことでも取り上げられるため、民主党の指導者に関するスキャンダルが否応なしに出てきます。このことに関し、検察の恣意的な権力行使は、日本の政治の将来の問題です。検察による、正義と社会秩序安定を担うという「自称の」義務としてスタートする行動を、検察内の派閥が制止することを願うばかりです。

 

政治経済の日米比較―日本は変われるか 

日本には政治経済の低迷を克服し、近隣諸国と協力しながら、すべての人の生活を向上させようとの前向きな政府があります。米国には、デモクラシーの堕落をはじめ、米国や世界にとり破壊的と思われる状況を制御することができない新政権が存在します。戦争、そして更なる金融危機とより惨めな経済が見えてきます。

 

そもそも、全く違う展開があることが期待されていました。米国は、近代産業、経済、政治の発展のモデルとして、西ヨーロッパもそのバリエーションとして、デモクラシーを標榜しながら皆が目指す資本主義国でした。ところが、今は悲しいかな、それが腐食・腐敗しており、一方、活力と情熱を有するアジア諸国は、一定の生活水準向上の成果が買われています。

 

近代において、日本と米国は常に政治経済の組織作りにおいて相対の立場にありました。これについて、私は日本では民間と公共部門が相対的に「未分化」である、としました。ヨーロッパが封建制度から脱却し、民主的な政治参加の条件をつくり、市場経済の基礎をつくる上で、最も政治的に重要だったのが、徐々に両部門を分離することでした。

 

長らく近代工業国は同じ方向に進化すると想定され、時間がたてば日本、韓国や共産諸国がやがてアメリカ型の国に収斂されると想定されてきました。この考え方では、現在はおかしな資本主義だが、いずれより正常な資本主義になる、と思われたのです。政治経済の発展に関する分析が、実はいわゆる西洋によりつくられてきた方向に世界が発展することを前提にしていることに気づく人は少ないのです。このことは、ジャーナリズム、マスコミ、論説、また、学問にも同じことが言えます。

ところがこの十五年間、アメリカの資本主義がますますおかしくなり、逆の方向に向かって収束してきているようにさえ思われ、驚愕を覚えています。民間と公共部門の境界がますますぼやけ、倒産している投資銀行でも、政府が保障し、その破綻が防がれています。これは、二十世紀中葉の政治論では、コーポラティズムといわれました。この言葉には混乱がつき物であり、また米国において誤って使われているため回避するに越したことはありません。が、日本の政治経済はこのコーポラティズムの最大のモデルとされてきました。それは経済の成果が市場ではなく、政治的な保護により定められてきたからです。大蔵省の庇護下での銀行の護送船団を思い起こすまでもありません。

 

そこで、次に米国と日本のコーポラティズムがどのように異なるかを見ていくことにします。日本でのバブル経済と、最近の米国での乱暴な投機的な売買に、重要なメッセージを読み取ることができます。両方とも政治が許したこと、そしてペーパー・エコノミーといわれる、何も生産しない資産に対し価値を創生したため、生産による価値判断ができなくなったことに由来します。

 

日本のバブルは、官僚と金融界から端を発し、製造業の合理化による生産施設拡大のため、低コストの資本を提供するために起きたのです。それにより、人類史上最大の設備投資が行なわれました。これは、対ドルでの円高による新たな経済の負い目に効果的に対応するためでした。バブル期の取引のわずか一〇パーセントしか個人の利益にならなかった、と想定されています。換言すれば、日本の政府高官と産業界のトップは、共同で国民経済を強化するためにバブルをつくったことになります。

 

対照的に、米国では金融化の進行とともに、産業が地に落ち、投資銀行家は信用を最も必要とする健全な産業部門に資金を貸し出す代わりに、金融派生商品の取引に明け暮れました。米国の金融エリートは、国民経済のことなど全く関心がなく、何十億ドルを懐に入れることに精を出しました。昨年初頭、尾崎財団で私は、それを「寄生的資本主義」と呼び、より大きな危機を招くことになるだろう、と予想しました。日本のバブル経済も多くの混乱が生じましたが、銀行家が自己の懐を豊かにするのではなく、国の産業力を保全するために行なわれた努力は、寄生的とはいえないと思います。

 

このように、日本と米国でのコーポラティズムは、誰がそれにより利益を得るか、という点で顕著な違いがあります。

 

果たして、政権交代による日本の政治の大きな変化は、政治経済の構造改革にまで至るでしょうか?そうなると思います。日本の批評家が言うところの、擬似封建的構造から少しでも脱するのであれば必ず変わります。そのプロセスには、慎重さと賢明な判断が問われますが、日本は自らの方法で、ワシントンの助言や苦言に耳をかすことなく、第一級の工業大国になったのです。

 

私は、民主党に助言をするつもりはありません。助言について言えば、欧米の経済学者や経済政策決定者は、中国や日本に対して、市場資本主義の素晴しさを説いたり、経済計画を指導する権利を失ったと思います。彼らの言う望ましい経済システムは、検証もされていないことを自覚し、それを瞬時に放棄すべきです。民主党にとり、経済のあるべき姿に関する答えを出していくには、まずは小泉政権時代から受け継いだダメージを修復することが大きな課題の一つです。

 

ここにおられる、政治に関心をもつ市民の皆さんの、これからの興味深い時代における幸運を祈ります。

(了)

(通訳:原不二子・当財団常務理事)